ずん飯尾、大物芸人から好かれる理由は“失われない感動”…自身の目指すべき姿は「パセリ」
ずんの飯尾和樹が、料理レシピ本「ノンストップ!『ワリカツ!』 Fan Book ずん・飯尾の開き直りごはん」(扶桑社)をこのほど出版した。幼いころから料理が好きだったという飯尾は、自身の芸人として目指す姿を“パセリ”にたとえ、「パセリは色んな料理のお皿に乗ってるじゃないですか」とテレビ出演が絶えない自身の姿と重ねた。また、タモリや内村光良から料理を振る舞われたエピソードを披露し、多数の大物芸人から好かれる理由を「単純に僕が先輩方を大好き」「あのレジェンドたちが…といつも感動している」と、自身のいつまでの失われることのない“感動”を理由に挙げた。【書籍】どれも美味しそう!ずん飯尾が紹介する料理レシピ■小学校2年生の時から料理好きだった飯尾、芸人仲間との共同生活でも“料理作り”――今作は「ノンストップ」(フジテレビ系)内で約2年半放送されている料理コーナー「ワリカツ!」で作った料理をまとめたレシピ本です。そもそも、飯尾さんはいつから料理が好きなのでしょうか。小学校2年生の時からです。共働きの両親に代わって、サンドウィッチを作ったのが僕にとってはじめての料理でした。ゆで卵やハム、トマトなどの具をパンに挟んで切って、兄弟でよく食べていたのを覚えています。――お笑い芸人としてデビューした後も、頻繁に料理をされていたのでしょうか。そうですね。昔、芸人仲間5~6人を集めて僕の家で共同生活をしていたことがあったのですが、その当時なんかは特によく作っていました。キャイ~ンのウド(鈴木)と天野(ひろゆき)に「お笑いトキワ荘だ」なんて言われましたけど、一人として藤子不二雄さんや赤塚不二夫さんがいなくて。アシスタントばかりじゃないかと自分たちでよくネタにしていました(笑)。■タモリ・内村光良からの手料理…「今でも印象に残っています(笑)」――逆に、飯尾さんが芸人仲間から手料理を振る舞われたことはありますか。タモリさんには、タモさんの運転手兼付き人をやっていた岩井ジョニ男さんとお正月にご自宅へ伺った時に、手料理をご馳走になったことがあります。一つひとつの料理が丁寧な味付けで、本当に美味しかったですね。20代の頃には、内村(光良)さんのお宅にも一回だけ、ウドと一緒に遊びに行ったことがありました。その時、内村さんが「お前らお腹空いてんのか?」と言って、九州のラーメン「うまかっちゃん」を卵入りで作ってくれて。すごい広くて立派なリビングなのに、学生時代に先輩のアパートへお邪魔した時みたいな四畳半スケールの料理だったから、今でも印象に残っています(笑)。■衝撃的だった「笑っていいとも!」レギュラー抜擢、初出演後には「あの人、誰?」の声殺到――タモリさんといえば、飯尾さんは31歳の時に「笑っていいとも!」レギュラーに抜擢されていますよね。あれは衝撃的でしたね~。ちょうど寝起きのタイミングで、マネージャーから電話がかかってきて「飯尾、『いいとも!』決まったから」と言われて。「そうですか、わかりました。ありがとうございます」って切った後に「え、なんでだろ?」と思い、もう1回かけ直しましたもん(笑)。どうやら、関根さんの舞台を観劇しに来た「いいとも!」のプロデューサーさんが、関根さんと絡んでいる僕を見て「飯尾くんどうですか?」と推薦してくれたみたいで。そしたら関根さんも「いいですね!」と後押ししてくれたらしいんです。当時のフジテレビらしいノリの良さに、甘えさせてもらったという感じですね。おかげで、初出演の後には「あの人、誰?」というFAXが殺到して、いいとも青年隊より説明が必要な状況になっていました(笑)。――その後、時を経て、こういった本が出るくらいまでブレイクされたわけですね。いやいやいや、ブレイクなんてとんでもない!まあ、ブレイクというか、「仕事が増えたのかな」と思えたのは、17年ほど前の40歳ぐらいの頃です。これまではPASMOやSuicaに2000円チャージすれば1週間は使い続けられたのに、1日で残高不足になった時に実感しました(笑)。■40歳手前で「家賃が払えなくなった」、清掃会社でのアルバイト経験も――ご自身の中で、40歳前まではいわゆる「下積み」という印象なのでしょうか。でも、これが若い時から地味に食えてたんですよね。20代は4年間ぐらい食べることができて、30代になってからまた食べれるようになったんですけど、40歳手前で家賃が払えなくなったんです。そこで以前、うちで共同生活をしていた後輩が立ち上げた清掃会社のアルバイトをさせてもらい、マンションのエントランスをワックスがけしたり、高圧洗浄機で床掃除の補助作業などしていました。――そんな時期があったのですね。はい。その後輩は埼玉に住んでいたのに、わざわざ僕が住んでいた品川まで車で迎えに来てくれたり、お昼休みには鰻をご馳走してくれたりと手厚くもてなしてくれました。ほんとツイてますよね、当時40歳のおっさんがこんなに呑気に働けて。しかも、その三カ月後からは、また仕事をたくさんいただけるようになっていましたから、本当に運が良かったなと思います。――後輩の方に慕われているのですね。いやいや、バイトの時は後輩面しましたから(笑)。いかにも先輩っぽく「何すればいいの?」と上から言わず「社長!どうしますか?次は?」としっかりと敬語で。でも、昼休みになると、またため口に戻るんですけど(笑)。■テレビ出演急増の要因は「昔なじみのスタッフの多さ」大御所から好かれる裏に“失われない感動”――株式会社エム・データが先日発表した「2021年~2022年の年末年始TV番組出演者ランキング」で3位にランクインするなど、近年はテレビ出演が急増しています。ご自身で、様々な番組から求められる理由は何だと思いますか。昔なじみのスタッフさんが多いですからね。知り合った時にADだった子が、今では上の立場になったりとかもありますし。あとは、僕を番組に呼んでくれる芸人さんが第一線で踏ん張り続けてくれているからという理由もありますよね。――出演番組を拝見していると、後輩に慕われていることに加えて、明石家さんまさんや関根勤さんなど、大御所の芸人さんからも可愛がられている印象を受けます。先輩の芸人さんたちと関わる上で意識していることは何かあるのでしょうか?やっぱり憧れでこの世界に入ってきましたから、単純に僕が先輩方を大好きなんですよ。たとえば、関根(勤)さんから「飯尾、今度休みいつだ?ゴルフでも行こうか」と聞かれて、「調べておきます」と言って別れた後に、「素人の頃、テレビでゲラゲラ笑ってたあの関根勤さんに次の予定聞かれてるのか」と思うとうれしくなっちゃうんですよ。ほかにも、(明石家)さんまさんに「正月どうしてるんだ?」と聞かれたり、ロケで隣になった浜田(雅功)さんが僕の肩に手をかけてきたり。「あのレジェンドたちが…」といつも感動しているんです。■自身の理想は“パセリ”「色んなメイン料理のお皿に乗っている」――そうなんですね。話は変わりますが、飯尾さんの中で、芸と料理は共通するところがあると思いますか。あると思います。自分で味付けを決めて振舞って美味しかったらまた食べに来てくれる料理と、ウケたらオファーがくるけど面白くなかったら声がかからなくなるお笑いは似ている気がします。料理の話でいうと、僕、パセリみたいになりたいと思ったことがあるんですよ。――どういうことでしょうか。パセリって、色んな料理のお皿に乗ってるじゃないですか。だから、番組をワンプレートと考えた時に、生姜焼きやトンカツ、ハンバーグのような個性を持ったメインのMCさんのお皿に、パセリである僕がいるみたいなイメージ。ただ、パセリじゃメニューには載らない。「パセリの60分」なんて、テレビ欄に掲載されないでしょ(笑)。文=こじへい