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オークションで4万円超の値がついた「遮光器土偶ニット帽」誕生秘話 4万円超の値がついた「土偶ニット帽」誕生秘話

縄文の学び舎・小牧野館の館長、竹中富之さんがオリジナル商品として開発した「遮光器土偶ニット帽」はどのように誕生したのでしょうか(筆者撮影)

昨年12月1日、ヤフーオークションに出品された「ニット帽」が急騰した。6600円でスタートしたところ、2日目には2万円、3日目には4万円を超え、さらに上昇し続けた。

そのニット帽は、ブランドものでもなければ、有名人の私物のようなプレミアがつくようなものでもなかった。青森市小牧野遺跡保護センター(縄文の学び舎・小牧野館)がオリジナル商品として開発した「遮光器土偶ニット帽」である。

なにそれ?と疑問に思う読者もいると思うので、簡単に説明しよう。

1887(明治20)年、青森県つがる市にある亀ヶ岡遺跡で発掘された、メガネをかけているような姿の土偶。そのメガネが、北方民族のイヌイットが雪中の光の照り返しを避けるために着用した「遮光器」に似ていることから、「遮光器土偶」と名がついた。

遮光器土偶の頭部には、「王冠状突起」と呼ばれる複雑な装飾が施されている。遮光器土偶ニット帽はその「王冠状突起」を手編みで再現したもので、縄文の学び舎・小牧野館が2020年1月25日に第1弾の販売を始めるとすぐにSNSでバズり、取材が殺到。メールで購入希望者の受け付けをしたところ、5日間で100通を超える応募があったため、いったん、販売中止となった。

このニット帽は青森市内に住む女性がひとりで編んでいるため、最大50個程度しか用意できない。独特のデザインに加えて、この稀少性が縄文ファンを引きつけたのだろう。2020年11月に50個を再販した際には、約1000通の購入希望メールが届いた。

そして昨年末、3度目の販売にあたり試験的にヤフオクに出品したところ、4万円を超える金額になり、電話、メールで「この金額では手が出せない、なんとかならないか」と問い合わせも多く届いたため、12月4日、出品を打ち切り。その時点で、4万5500円の値がついていた。

その後の顛末は、後に記す。筆者が気になったのは、小牧野館の商品開発力だ。小牧野館のミュージアムショップは、オリジナルグッズの宝庫。遮光器土偶の「遮光器」部分を再現した木製のメガネ、遮光器土偶形のこけしとけん玉を合わせた「シャコケン」などユニークな商品が並ぶ。

小牧野館から少し離れた場所にある小牧野遺跡(筆者撮影)

これらすべてをスタッフとともにプロデュースしているのが、縄文の学び舎・小牧野館の館長、竹中富之。いま、「縄文」界隈のヒットメーカーとして注目を集める彼のキャリアは、意外なものだった。プロのミュージシャンとしてバンドのボーカルを務め、聖飢魔IIと同じ事務所からCDも出していたのだ。

元プロミュージシャンがなぜ小牧野館の館長に就き、どのようにヒット商品を生み出してきたのか? その秘密に迫る。

2003年、プロミュージシャンとして大成することができず、バンドも解散。これからどうしようかと悩んだ竹中は、「音楽に関係ある仕事がしたい」と考えた。それから縁あって、渋谷にある音楽系ミュージアムの責任者に就いた。38歳のときのことだ。

縄文の学び舎・小牧野館の館長、竹中富之さん(筆者撮影)

ミュージアムの運営についてまったくの素人だったが、当時さいたまスーパーアリーナ内にあったジョン・レノン・ミュージアムやアーティストとのコラボを企画するなど、徐々にアイデアマンとしての才覚を発揮。「ミュージアムの運営は面白い!」と手ごたえを得ていた。

しかし、両親の体調が悪化したこともあり、2010年、故郷の青森市に戻ることに決めた。仕事のあてがなかった竹中は「自分で仕事を作ろう」と、地元で世界のカルチャーを発信することを目的にエスニック雑貨のショップを始めた。もともとアジアやアフリカ、中南米の雑貨が好きだったことに加えて、両親のことを考えたときに個人事業主で時間に自由が利くのも大きなポイントだった。

それから、ひとりでインド、ネパール、タイ、メキシコなどを旅行し、気に入った雑貨を仕入れて自分のショップで売る生活が始まった。このとき、商売人としての目が養われたという。

「現地で商品を見定めながら、これをいくらで販売したら売れるだろう?って考えるじゃないですか。この商品はもっと改良できるんじゃないかっていうのもすごく気にするタイプです」

ショップでは、アフリカの太鼓「ジェンベ」も仕入れて販売していた。それがきっかけで、ショップを経営しながら地元の仲間たちとジェンベのチームを結成し、プライベートで演奏を楽しんでいた。すると、そのうちに「遺跡で演奏してほしい」というオファーがくるようになった。

なぜ遺跡で?と疑問に思う方もいるだろう。青森は遮光器土偶が出土した亀ヶ岡遺跡、縄文遺跡として日本最大級の三内丸山遺跡など約4700カ所の遺跡(埋蔵文化財包蔵地)が確認されており、遺跡関連のイベントも多いのだ。ジェンベは皮と木で作られたシンプルで原始的な楽器なので、遺跡との相性もよかったのだろう。

こうして遺跡の関係者ともつながりができた3年目、環状列石(ストーンサークル)がある小牧野遺跡の出土品の展示や保管に加えて、縄文遺跡全般の情報発信などの拠点として縄文の学び舎・小牧野館をリニューアルするという話が立ち上がった。

廃校を利用した縄文の学び舎・小牧野館(筆者撮影)

そのとき、かつて東京でミュージアムの責任者を務めていた竹中に「有識者会議に参加してほしい」という依頼があったので、ミュージアムの運営について話をした。その2年後、リニューアルオープンを前に、青森市が指定管理者制度を導入すると竹中の耳に入った。

指定管理者制度とは、公共の施設の管理・運営に民間のノウハウを活用しようという考えから、行政が民間の事業者を含めた幅広い団体に管理・運営をゆだねる制度である。

このとき、竹中は青森に住み続けるか、東京に戻るか悩んでいた。帰郷して5年のうちに両親がともに亡くなったこともあり、青森に残る理由もなかったのだが、ジェンベチームのメンバーや友人、知人からは引き留められていたのだ。

「縄文の学び舎・小牧野館」の指定管理者の募集要項を見ると、必ずしも考古学や縄文文化の専門家である必要はなかった。それを見て、心が動いた。考古学を学んだこともないし、もともと縄文文化が好きだったわけでもない。しかし、雑貨の買い付けで世界を巡っているうちに各地の遺跡を見て歩くようになり、縄文遺跡でジェンベを演奏するようになってから、縄文文化にも興味を持つようにもなった。なにより、渋谷のミュージアムで働いた経験を生かせるまたとない機会である。

「縄文文化と言われても、かつての自分のように特に興味がない人のほうが多いはず。そのハードルを下げて、もっと身近なものにしたい」

そう考えた竹中は、遺跡整備に関わったことのある仲間に声をかけて「一般社団法人 小牧野遺跡保存活用協議会」を結成。指定管理者に立候補したところ、手を挙げた3者のなかからトップの評価を得て選出された。迎えた2015年5月、「縄文の学び舎・小牧野館」がオープンし、竹中は館長に就任した。

青森県内の遺跡関連の施設で、指定管理者制度を採用しているのは「縄文の学び舎・小牧野館」のみ。初めてにして唯一の存在だからこその驚きもあったという。そのひとつが、さまざまなグッズを販売するミュージアムショップを設置するのに「目的外使用料」という場所代を求められること。市の所有施設の一部を占有して物販をするという理由から、グッズを置く棚の面積を厳密に計算され、その分の家賃を青森市に収めなくてはならないのだ。

縄文の学び舎・小牧野館は入場無料なので、小牧野遺跡保存活用協議会は青森市から委託費として指定管理料を受け取っているが、ミュージアムショップの家賃は持ち出しになる。視点を変えると、ミュージアムショップのグッズが家賃を上回るほど売れれば、その売り上げは協議会の収入アップにつながる。それに、グッズが売れるということは、「縄文文化を身近なものにする」ことにもつながる。

「売れるグッズを作るしかない!」

気合い十分の竹中は1年目、スタッフと一緒に「堅く地味な縄文のイメージを変えよう」とアイデアを出し合い、小牧野遺跡の環状列石の配置をポップにデザインしたマスキングテープを考案し、早速商品化した。

最初に商品化されたマスキングテープ(筆者撮影)

それが「まあまあ売れた」ことが自信となり、2018年には小牧野遺跡のロゴマーク入りタイダイTシャツをリリース。そして翌年に投入したのが、遮光器土偶メガネだ。これも、竹中のひらめきがもとになっている。

竹中は、1980年代から90年代にかけて世界的な人気を誇ったアメリカのバンド、ニルヴァーナが好きだった。同じ時期にギター&ボーカルをしていたこともあって、特にカリスマボーカルのカート・コバーンには憧れていた。

それから時が流れ、小牧野館の館長になってから東京に行ったとき、原宿でカート・コバーンがよくかけていたようなサングラスを見かけた。それを目にした瞬間、電撃的に「遮光器土偶に似てる!」と感じたのだ。そのグラス部分に横一筋のスリットを入れたら、と想像すると、どう考えても遮光器土偶にしか思えなかった。

「スリット入りのサングラスを作って、遮光器土偶サングラスとして売ったら、かっこよく縄文をアピールできる! クールジャパン!」

自分のアイデアに興奮した竹中は、商品化しようと方々に問い合わせた。それでわかったのは、竹中が求めるようなセルロイドやプラスチックのサングラスは中国で大量生産しているため、手間のかかる少数の依頼をするのは不可能ということだった。

諦めかけたところで、「木だったら作れるかもしれない」という会社と出合った。竹中がイメージしていたのはあくまでカート・コバーンのサングラスだったから、最初は「木製か……」とテンションが下がったのだが、スタッフに相談すると「木製のほうが縄文っぽいかも」という話になったので、サンプルを作ってもらうことにした。

それが思いのほか遮光器土偶っぽい出来栄えだったので、その会社と何度か試作を重ねた後、1980円で売りに出した。すると予想以上の早さで完売しただけでなく、新潟県立歴史博物館から「今度、土偶関連の企画展をやるからうちのミュージアムショップで売らせてほしい」という連絡がきた。それで10個ほど卸したところ新潟でも人気になり、新潟県立歴史博物館のフェイスブックページでも盛んに紹介された。

オークションで4万円超の値がついた「遮光器土偶ニット帽」誕生秘話 4万円超の値がついた「土偶ニット帽」誕生秘話

「これはいける!」と増産しようとしたタイミングで、製造してくれた会社が倒産。しかし、加工の設計図に関しては「ほかに請け負う会社があれば、渡してもいい」と言ってくれた。

竹中はスタッフと手分けして再び業者を探しまわり、東京の会社を見つけ出した。ただ、加工賃が高く、そこに任せると価格を2倍にせざるをえない。どうしようかと頭をひねった竹中は、こう提案した。

「組み立てを自分たちでやります」

これで加工賃を抑えることに成功し、2400円で売れるようになった。自分たちで組み立てることで、思いもしないメリットもあった。ネジが緩みやすい箇所など改善が必要な部分がわかるようになったのだ。

2社目の会社もコロナで倒産してしまい、今はまた別の企業に依頼をしているのだが、スタッフ総出で組み立てるスタイルは変わっていない。これまでに、遮光器土偶メガネはおよそ500個販売しており、小牧野館で最も売れる商品になった。

ナンバーワンヒット商品の遮光器土偶メガネ(筆者撮影)

「遮光器土偶メガネを通して、モノづくりの面白さを学んだし、自分たちで組み立てているということは、半分made in 青森なわけですよね。すごく愛着のある商品です」

竹中の「これは!」という気づきは、別のヒット商品も生んだ。

ある日のこと。地元の100円ショップに行った時、白いけん玉を見かけて、ハッとした。

「遮光器土偶に似てる!」

すぐにアイデアが浮かんだ。

「子どもたちのワークショップとして、白いけん玉に土偶の絵を描かせたらどうだろう?」

早速、小牧野館のスタッフに話すと、「いいですね! やろう!」と盛り上がり、100円ショップを巡って白いけん玉を買い集めた。後日、子どもたちを集めてワークショップを開いたところ、それが大盛況に。その様子を見て手ごたえを得た竹中とスタッフは、けん玉について調べた。

あまり知られていないことだが、けん玉の元祖は、フランスの玩具「ビルボケ(bilboquet)」と言われている。16世紀の絵画にも描かれているビルボケは、簡単にいうとけん玉の両サイドにある受け皿がなく、穴の開いた球を棒に差し入れる玩具だ。竹中は、このビルボケを参考に、玉の部分を遮光器土偶の頭部、棒の部分を遮光器土偶のボディ、棒の先を縄文人の頭にしたけん玉を考案した。遮光器土偶の頭部(玉)が外れると、縄文人が現れるというデザインだ。

それから弘前市でオリジナル創作こけしを作っている作家のCOOKIESに連絡を取り、「こういうけん玉、作れますか?」と相談したところ、快諾。細いものと太いものを試作してくれた。それを見て、竹中はピンときた。

「太いほうを男の縄文人、細いほうを女の縄文人にすればペアで売り出せる!」

こうして2020年8月、小牧野館とCOOKIESのコラボ商品、遮光器土偶けん玉、名づけて「シャコケン」が誕生。これがけん玉愛好者の間で話題沸騰となり、1体4180円のシャコケンが瞬く間に売れていった。男女ペアで購入する人も多く、こちらはこれまで120個販売したという。

男女セットで売れるシャコケン(写真:小牧野遺跡保存活用協議会)

遮光器土偶サングラスもシャコケンも竹中の発案ではあるが、竹中にとって商品化に不可欠なのはいつもポジティブで、ノリのいい小牧野館のスタッフたち。できない理由を並べるのではなく、実現するためにどうするかを一緒に考えられる仲間の存在は、とても大きいと語る。

「うちのチームって、例えば僕が『なんか土偶に見えてきたんだよね、けん玉が』と言ったら、面白いって言ってくれるんですよ。さらに、もっとこうしたらいいんじゃないかってどんどんアイデアが出る。そういう風通しのよさもあって、自由な意見を言える雰囲気があるんですよね」

この小牧野館チームが生み出した最大のヒット商品が、冒頭に記した遮光器土偶ニット帽。これは、竹中とスタッフが小牧野遺跡と世界遺産登録を盛り上げるために「こんなニット帽があったらいいよね」と雑談をしていたところ、後日、その話を聞いた外部の女性(仮にAさんとする)が「1回、編んでみようか」と言ってきたことから開発が始まった。

最初に編んでくれたニット帽は、今ほどクオリティーが高くなかったそうだ。そのサンプルを見て、竹中はエスニック雑貨の買い付けに行っていたとき、現地の商品を見て「もうちょっとこうすれば売れるのに」と残念に思ったことを思い出した。

それから、妥協なく遮光器土偶の「王冠状突起」に見えるものを作ろうと、Aさんやスタッフと何度も話し合った。そうして4回の試作を重ねた末に、全員が納得するニット帽が完成。これは話題になると確信した竹中は、ミュージアムショップで5個だけ販売し、残りはカラー指定もできるメールでの受注生産とした。

その反響は、想像をはるかに超えていた。冒頭に記したとおり、2020年1月25日、1つ4400円で50個発売したところ、SNSで話題になったのがきっかけで、約100通のメールが届き、わずか5日間で一度販売を中止することにした。

カラーバリエーションがある遮光器土偶ニット帽(写真:小牧野遺跡保存活用協議会)

2020年11月に発売した第2弾(約50個)では、1000人超が応募。このときは発売を告知した時点でメディアに取り上げられたこともあり、発売当日の現場は混乱に見舞われた。秒単位でメールが殺到したため、普段使用している3台のパソコンそれぞれに届いたメールの順番が異なっていたのだ。このときは、公平を期すためにサーバーに届いたメールの順番で先着を決めた。

なにかのきっかけで爆発的に話題になるものはあるが、大半は1回の打ち上げ花火で終わる。最初の販売から10カ月の期間を空けたにもかかわらず、初回の10倍、1000人を超える購入希望者がいたのは、竹中やスタッフ、そしてニット帽を編む女性にとって大きな驚きだった。

周囲からさまざまな意見が寄せられるなかで、最も多いのは「そんなに人気があるなら、販売個数を増やしたら?」。なかには「これは、大きなビジネスチャンスですよ」という人もいたし、「私も編みましょうか?」と連絡してくる人もいたという。もちろん、竹中も増産すれば協議会の収入が増えることはわかっている。しかし、個数を増やさないことに決めた。それは、Aさんから「私がやり切ります」という言葉を聞いたからだ。

「たくさん売ればその分儲かりますけど、僕らがグッズを作るいちばんの目的はそこじゃない。それに、エスニック雑貨店をしていたとき、なによりも現地の人との気持ちのいい取引を重視していました。今回も、まだ商品になるかわからない段階から付き合ってくれた作り手の気持ちを大切にしようと思ったんです。だから、Aさんにはいつまでに何個作ってほしいという依頼もしません。自分のペースで、できる範囲で作ってくださいと伝えています」

この方針を貫いて、昨年12月の第3弾で用意したのも60個だった。ただし、以前から「ニット帽の価格が安すぎるせいで、需給のバランスが崩れている」という指摘や「公平性、透明性の高い販売方法を」という声があったため、周囲の助言もあって試験的にヤフオクを利用することにした。

それがうまくいけば、商品を1点ずつオークションにかけていく予定だったのだが、とんでもない勢いで高騰し、「この金額では手が出せない、どうにかしてほしい」という問い合わせが山ほどきて、ひとつめの落札を終えた時点で出品を中止することになったという顛末は、冒頭に記したとおりだ。

これが行政機関なら判断ミスや失態として捉えられそうなものだが、アイデアマンの竹中はこのピンチにも機転を利かせた。

「わざわざ連絡をしてくるのは、遮光器土偶ニット帽が欲しくてたまらない人だ。そういう人たちと直接やり取りできる機会はめったにない。どれぐらいの金額が適正なのか、どういう販売方法を求めているのか、聞いてみよう!」

小牧野館のメンバーにも話をして、電話やメールでの対応をアンケートの機会に変えた。そのときに集まった意見を参考にして12月6日、価格は9900円、ハガキでの抽選という形で、購入希望の受付を始めた。

一気に2倍以上の価格にしたのは、「1万円までならなんとか」という意見が多かったことに加え、負担が大きいAさんへの支払いを増やすため。メールの先着順をやめてハガキでの抽選にしたのは、メールの扱いになれていない人たちへの配慮からだ。

9900円のニット帽を買うために、わざわざ63円のハガキを買い、必要事項を記入してポストに入れる人がどれぐらいいるのか? ビジネスパーソンは、ぜひ予想してみてほしい。

想像がつかなかった竹中は、手始めに24個で募集をかけた。すると、760通のハガキが届いた。年明けの1月5日、第2弾として36個の募集を始めたところ、今度は380通の応募があった。なんと、メールで受け付けした前回を上回ったのだ。この結果には竹中も仰天した。

「ヤフオクに出品したときに、『(遮光器土偶ニット帽は)普通の手編み作品ではなく、技術を伴う工芸品の域に達している』というメールをもらったんです。今回の結果を見て、確かにそういうことなんだと実感しましたね」

竹中たちの商品開発に終わりはない。昨年7月には小牧野遺跡PRキャラクター「こまっくー」のぬいぐるみ(3520円)が発売された。これも埼玉在住のテディベア作家と二人三脚で開発し、4回の試作を経て完成したものだ。

小牧野館のオリジナルグッズは青森県知事もお気に入りで、これまで何度も遮光器土偶ニット帽と遮光器土偶メガネを着用してイベントに登壇している。それでさらに認知度が高まり、コロナ禍以前には毎年30万人が訪れていた三内丸山遺跡のミュージアムショップに小牧野遺跡コーナーができた。また、昨年10月にはオリジナルグッズのネットショップ「こまてん」を開くなど、販路も広げている。

「うちも、お金に余裕があるわけじゃありません。でも、作ったものがコケなければ、ちょっとずつチャレンジできる。オリジナルグッズで、大きく外したことがないんですよ。ミュージアムショップやエスニック雑貨店の経験がすべて生きてますね」

竹中率いる小牧野館チームの取り組みはモノづくりベンチャーのようだが、最大のミッションは「縄文文化を身近に」。昨年7月には、「三内丸山遺跡」をはじめとした「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産登録が決定し、かつてないほど縄文文化に光が当たり始めた。その追い風のなか、竹中とスタッフはきっとまた世間をざわつかせる商品を生み出すのだろう。