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Sep

遠藤薫はアイデアで取り締まりをかわし、規格外の変化球を投げる

新進作家を紹介する『shiseido art egg』。3つ続いた展覧会の最後を飾るのが、遠藤薫だ。沖縄の芸術大学で工芸を学び、工芸作家として活動しつつも、同時に現代美術のアーティスト、DJとしても活動する遠藤は、その多方面に広がる活動の糸を編むようにして、自身の表現を続けてきた。

現在はベトナムを拠点に、布にまつわるリサーチと制作を続ける彼女にとって、表現とはどのような行為なのだろうか? 個展を控え、日本に一時帰国したタイミングで話を聞いた。

遠藤:なんでもやってみたい気持ちが強いんですよね。生徒会に入ってみたいとか、応援団長やってみたいとか、留学したいとか。「できないかもしれないけどがんばります!」って。でも、めっちゃ遅刻したりするのでダメダメなんですけど(苦笑)。

生来の好奇心の赴くまま、遠藤薫は生まれ育った大阪を遠く離れて沖縄の芸術大学に進学し、現在はベトナム・ハノイを拠点に布にまつわる作品を手がけている。そこに至るまでの過程はさらに多彩……というか波乱万丈だ。

 遠藤薫はアイデアで取り締まりをかわし、規格外の変化球を投げる

三代続く書家の家に生まれながら、「まっすぐに字を書くの、変では?」という理由で書いた規格外の作品で大阪府知事賞を受賞。「DJもしもし」を名乗り、学生時代に意気投合したクリエイターたちと、テクノを聴きながらうどんを踏むイベント『テクノうどん』を発案し、オーガナイズ。一見するとはちゃめちゃだが、素朴な「なぜ?」と、ほのかな反骨精神を胸に、遠藤は表現活動を続けてきた。

今回の『shiseido art egg』では、沖縄と布にまつわる作品を発表するという彼女へのインタビューを通じて、そのルーツを辿っていきたいと思う。

遠藤:沖縄に行きたいという気持ちは、小学生のころからずっとあったんです。テレビで琉球ガラスの工芸作家のドキュメンタリーをやっていたんですよ。米軍のコーラ瓶などを素材に使う再生ガラスにはどうしても気泡が入っちゃうんですけど、もみがらや魚の骨を入れたりして、その欠点を生かすんです。ダメなところも無理やりよいものにしようとする沖縄の工芸の精神に衝撃を受けました。それ以来「私は絶対に沖縄へ行くんだ!」と思うようになりました。

―小学生でその精神性に惹かれるのはすごいですね。

遠藤:親が書家だったこともあって、子どものころから工芸や民藝(柳宗悦、濱田庄司らによって提唱された生活文化運動。無名の職人が生み出した日常の生活道具を高く評価し、「美は生活のなかにある」と提唱した)が身近だったからかもしれませんね。親からは反対されたりもしたんですけど、たまたま高校の先生が沖縄が大好きな人で、岡本太郎の『琉球文化論―忘れられた日本』(中公文庫)を手渡してくれたうえに、親まで説得してくれて。気持ちはもう、ますます「行くぞ!」と。それで沖縄県立芸術大学工芸専攻に進学しました。ところが、芸大にはガラス工芸を学べる学科がなくて(苦笑)。

―なんと。

遠藤:もっとも特別にガラスを学びたいというよりは、戦争の経験や米軍基地の問題を逆手にとるような沖縄の工芸の精神自体に惹かれたところが大きかったですから。それで工芸全般を学ぼうと思ったんです。