「ONE PIECE」はフィクションじゃない? 歴史家が語る「リアル海賊」の世界
尾田栄一郎氏による大人気漫画『ONE PIECE』の記念すべき100巻が先日発売された。物語もいよいよ核心に迫っており、単行本はもちろん週刊少年ジャンプの発売を毎週楽しみにしているファンの方も多いだろう。
少年漫画の代表作ということもあり、フィクション作品だと思われがちな『ONE PIECE』だが、実は過去に実在した海賊から名前を取ったキャラクターも多く、実際の海賊の歴史や文化を組み込んだ設定やエピソードも多い。
今回は、そんな奥深い『ONE PIECE』の世界を海賊史の専門家であり清泉女子大学
文化史学科の桃井治郎准教授にインタビュー。前後編にわたってお届けする。
桃井治郎
清泉女子大学文学部文化史学科准教授
専門:西洋史、マグレブ地域研究、平和学
著書:『海賊の世界史』(中公新書)、『「バルバリア海賊」の終焉』(中部大学/風媒社)、『アルジェリア人質事件の深層』(新評論)など
■海賊はちゃんと20時に寝ていて健康的だった
ーー今回は、『ONE PIECE』の主なモデルになっているとされる17-18世紀のカリブの海賊たちについてお伺いできればと思っています。まず、『ONE PIECE』の主人公のルフィが海に出たのは16歳ですが、実際の海賊は何歳ぐらいの人が多かったのでしょうか?
初めて船に乗せられたのが10代という人がほとんどだと思います。
海賊全体だと平均20代ぐらい、船長は30代か40代が多いですね。
ーー本物の海賊も、ルフィみたいな年齢の頃に海に出ていたんですね......!
17-18世紀頃の海の生活って非常にリスクが高かったので、あまり長生きができないんです。
だから海軍でも商船でも、貧しい人やむりやり徴用された人、さらわれた子ども、解放された元奴隷などが船員となることが多かったようです。
当時の海賊というのは海軍や商船よりも待遇がよかったんですね。だから、海賊におそわれた船の水夫が、進んで海賊に参加するっていうこともありました。
ーー海軍や商船のような「普通の船」より海賊の方が人気だったんですね。
当時は身分制だったので、普通の船は上下関係が非常に厳しかったんです。
それに比べると海賊たちは平等で「船長の宝の取り分は船員の2倍まで」というようなルールまでありました。
しかも一攫千金まで狙えますから、「どうせ海の生活をするなら海賊の方がいい!」と思っていた船員は多かったでしょうね。
ーーお聞きしている限りだと、確かに海賊の方がよさそうですね。
しかも、17-18世紀当時としては画期的なことなんですが、船長を誰にするかを話し合って平等に投票で決めていたんです。
だから、カリスマ性のある船長が出てきたり、(平均20代の船員の中では)経験豊富で判断力のある30代ぐらいの人が船長になっていたんですね。
ーーみんなに選んでもらえないと船長になれないんですね! どうしても船長になりたい場合はどうすればよかったのでしょうか?
その場合は、自分の船を用意すれば船長になれます。船を用意した後に仲間をつのるタイプですね。
実際にそういう船長もいて、キャプテン・キッドという海賊は、自分の船で仲間を集めて船長になっています。
ーー当時の船長のおもな仕事はなんなのでしょうか?
「どこの航路で、どういう船をおそうか」を決めるのが主な仕事です。
ただ、実際戦うときには船長も普通の一兵卒のように戦っていました。
ーー本当に少年漫画みたいな世界ですね......!
ただ、『ONE PIECE』のように、危険をおかして仲間を助けにいくようなことは少なかったと思います。
海賊は仲間意識は強いんですが、一方で「船長を港に置き去りにして、船員みんなでお宝を持ち逃げする」といったことも起きていて、一心同体といえるほどの強い絆があったかは疑問です。
ーー作中では「一味をぬける」「海賊をやめる」というのは船長の許可がないとできないおおごとだとされていますが、実際の海賊はけっこう簡単に抜けられたのでしょうか?
そうですね。「分け前をもらって港に着いたらそのまま違う船に乗る」ということはあったと思います。
現代でいう、フリーランスの集まりをイメージしてもらうと近いのではないでしょうか。
ーー作中だと「船長命令」は絶対なのですが、実際はどうだったのでしょうか?
海の上では強いです。海上で統制が取れないと、生死に関わってしまいますから。
バーソロミュー・ロバーツという海賊の「船での掟」が記録で残っているんですが、それを見る限りだと「夜は20時に寝る」といったことが決められていて、海の上の生活の決まりはけっこう厳しかったようです。
ーー海賊、かなり健康的だったんですね。
みんなで集まって夜までどんちゃん騒ぎをしていると、もめごとが起きるので禁止していたんだと思います。
あとは「海上ではギャンブルはやらない」「決闘するなら陸でやること」といったことも決まっていました。これ以外に、戦利品をこっそり独り占めした船員を処刑したり、島に置き去りにしたりもしていたようです。
■「音楽家」は海賊にとって重要な存在だった
ーーここまで海賊船の船長についてお聞きしてきたのですが、船員についてもお聞きしたいです。「麦わらの一味」は現在(乗船して旅をする意思がある仲間が)10名ですが、実際の海賊って何名ぐらいだったのでしょうか?
航路や時期にもよりますが、『ONE PIECE』のモデルになっている時代でいえばわりと小さなスループ船で、比較的少人数でやっていました。
ーー現在の「麦わらの一味」が乗っているサウザンド・サニー号も、同じスループ船ですね。
商船だと貨物を乗せるために船員を減らした方がいいんですが、海賊船の場合は、むしろ人数が多い方が襲うときに有利なんですよね。だから、船の大きさにもよりますが、50〜150名ぐらいだったと思います。
ーーそこまで大きくないスループ船でも、ある程度の人数は必要なんですね。
そうですね。航路にもよりますが、十数名は必要だと思います。
ーー10名だと全員がかなり働かないと大変そうですね......!作中では、航海士のナミが天候などを予測していますが、実際もこういった航海士は乗り込んでいたのでしょうか?
そうですね。航海士というのは技術職で、風や天候を読んだり、星の測量をする役割です。
それでもやはり分け前の取り分はそこまで多くはなくて、普通の船員の1.5倍ぐらいですね。
ーー作中のナミは、そんな程度じゃないぐらい取り分を取ってそうです。他に、考古学者のニコ・ロビンなども一味にいます。
実際に考古学者が海賊船に乗ることはほとんどなかったと思いますが、海賊が貴重な記録を残すことはありました。
18世紀にフランス船に対する海賊行為をしていたウッズ・ロジャースという船長は、イギリスに帰国後、航海日誌で詳細に各地の記録などを残しています。
ーーウッズ・ロジャースは『ONE PIECE』に登場するゴール・D・ロジャーの名前の由来にもなっている海賊ですね!船大工のフランキーも乗り込んでいますが、船大工が実際に船に乗るということはあったのでしょうか?
必ずというわけではありませんが、船が破損したときに修繕できる船大工は貴重だったと思います。ですので、おそった船に船大工がいたら、そのまま連れてきて船員にしていたのではないでしょうか。
これは船医も同じで、他の船からさらってきたり、あるいは特別に雇ったりしていました。「船医は戦いのときでも戦わずに隠れていていい」という契約をしていたこともあったようです。
あとは、音楽家も同じで、海賊ではかなり大事にされていたようです。
ーー『ONE PIECE』ではルフィが最初からずっと「音楽家を仲間にしたい」「海賊は歌うんだ」と言い続けていたのですが、あれはけっこう史実に基づいていたんですね......?!
そうですね。絶対ではないですが、船大工や船医と同じで、音楽家もけっこう大事にされていたようです。
海賊の掟の中に「音楽家」についての取り決めもあって、戦いに参加しなくてもよかったり、特別契約になっていたことがありました。
海の上は単調な生活ですので、それだけ欠かせない存在だったということでしょう。
ーー船上のささやかな楽しみとして、音楽が欠かせなかったということですね。『ONE PIECE』が想像以上に歴史に忠実な作品だったことに驚きます!
<後編の「「ONE PIECE」は海賊史の専門家が読んでもおもしろい 実はリアルなエピソードの数々」では実際のカリブ海の歴史や海賊を悩ませていた病気などについて聞いていく>