世界が奪い合うインドのトップ人材 日本は「来てみてがっかり」の評判を覆せるか:朝日新聞GLOBE+
■面接予定の学生 欧米に先越される
IITの学生採用のやり方は日本と大きく異なっている。例年12月1日から、企業側が大学に出向いて採用面接が解禁となるが、企業が面接できる日程は大学の就職課が決めてしまう。過去の採用実績が多く、提示する給与が高額で学生からの人気も高い欧米の超有名企業から順に、早い面接日程が割り当てられてしまうのだ。そうした企業が先を争って、最難関のIITの中でも特に優秀な学生を獲得してしまうのだ。
IITデリー校では昨年12月、コロナ禍の中でも300社を超える企業がオンラインを含め採用活動に参加した。大学の発表によると、面接初日の12月1日に多くの学生を採用したのは、マイクロソフトやインテル、ゴールドマンサックスといった企業だった。就職先は、ITなど技術系の職種が6割を超えるという。
インド中南部にあるIITハイデラバード校は、日本政府が施設建設や人材交流などで協力し、2008年に開校した比較的新しいIITのキャンパスだ。ここでは、日本貿易振興機構(JETRO)などが日本企業への就職を広げるための合同説明会「JAPAN DAY」を18年から開催している。18年は200人、19年は230人の学生が参加し、20年はオンラインだったが約440人の学生が参加した。人数は年々増え、学生の日本への関心は確実に高まっている。企業側も富士通やデンソーなどの大企業からベンチャーまで、過去最多の20社が参加した。
それでも、現地事務所に駐在し説明会にも携わっていたJETROスタートアップ支援課の瀧幸乃さん(29)は、「最終面接する予定の学生全員を欧米に先に取られてしまい、過去には再募集して採用に至った企業もあった。知名度に劣る日本企業がこのスキームで欧米企業に対抗するのは非常に厳しい」と話す。
IITはインド各地に23校あり、日本企業もNECやソニー、メルカリをはじめ採用活動が実を結んでいる企業もある。その一方で、職種や待遇のみならず、日常生活でも英語が不自由なく通じるかなど、IIT人材が日本企業で働く上でのハードルは高いのが現状だ。
そうした中で、JETROなどが昨年まとめたのが「2カ年計画」だ。ハイデラバード校の4年生の採用だけを目標とするのではなく、3年生の時からインターン募集に力を入れ、早い段階から日本企業の情報発信を強化する。知名度を高めるとともに、インターンを通して優秀な学生の採用を狙う。地道だが、ミスマッチを防ぐ上でも重要な機会だ。コロナ禍の影響が懸念されるが、果たして結果はどうなるか。計画の2年目にあたる今年12月の学生の動向に注目が集まる。
JETROスタートアップ支援課長の島田英樹さん(46)は、「日本人では思いつかないようなアイデアやマインドセットがある人材をいかに企業が取り込み、海外に出るか。インド人材に限らず、そういった多様性をどう確保するかが、日本企業にとって今後ますます重要になってくる」と話す。
■IIT人材 採用する側も問われる
IITデリー校卒で、村田製作所(本社・京都府長岡京市)で技術企画・新規事業開発などの統括を務め、現在は日本企業のインド進出を支援する事業をしているカルン・マルホトラさん(60)は、日印の政財界に多くの人脈を持つ。IITハイデラバード校での「JAPAN DAY」にも参加し、IITの学生や日本で働くインド人からもたびたび相談を受けるという。
「インドではソニーやパナソニックなどの家電製品も身近にあって、『日本人は勤勉で物作りが得意』という、何となく良いイメージを抱いているインドの学生は多い。日本は清潔だし安全だし、というイメージ。でも、実際日本で働き出すと、がっかりしてしまうことも多いのが実情」という。どういうことなのだろうか。
マルホトラさんが指摘する問題点はこうだ。日本の新入社員はまずは与えられた仕事をこなすことを求められ、横並びで育成される。給料にも大きな違いは出にくく、昇進も遅い。特別扱いされようものなら、同僚からにらまれてしまう――。
「たとえば、東大卒の優秀な人は日本人だから(日本企業の慣習を)我慢できるけど、インド人はなんで我慢しないといけないの? そこに気づいてしまうと、日本国内の外資系に転職したり、英語の通じる欧米などに行きたくなったりしてしまうんです」
個人よりも組織、スタンドプレーよりもチームワークを重んじる傾向が強いという日本企業。最大の問題点は、社員の働きに対する評価やフィードバックがあいまいなことが多いところだという。
「インド人も仕事に期待して日本にやってくるし、自分の能力やアイデアを社会に貢献させたいと思っている。何が良くて何が悪かったのか、自分の次の課題は何なのか。どんどんチャレンジさせないと、飽きられてしまう。要するに、IITの学生を採用しても、使いこなせない企業もある。そうしたギャップを克服するためには、日本企業の古い常識をいかに変えられるかが、大きなチャレンジになるのではないでしょうか」
マルホトラさん自身は、村田製作所に約30年間勤めてきた。「インドでは3回は転職するのが当たり前。ずっと同じ企業にいると、『そこの文化しか知らない』とマイナスに見られることもある」というが、新しいことをやろう、仕事を楽しくしよう、といつも考えながら働き、上司にも恵まれて米国などへの転勤希望も受け入れられたことなどが大きいと振り返る。
いま、グローバル企業で活躍する人材を多く輩出しているインド。だが、マルホトラさんは「昔からインド人はずっと活躍していた」と胸を張る。「欧米の大企業でダイバーシティーが問われるようになり、白人だけが役員を占める時代は終わった。能力主義になったとき、そこにいたのがインド人だった。ずっと前からいたんですけど、ガラスの天井を突破して、目立つようになっただけだと思います」
カルン・マルホトラ 1982年、インド工科大学(デリー校)工学部卒。84年、カナダのマギル大学修士課程を修了後、来日。90年に村田製作所に入社し、技術企画・新規事業開発の統括などを務める。2017年に日本企業のインド進出を支援する株式会社ポグリを設立した。